そこで、ザカリヤは御使いに言った。
「私は何によってそれを知ることができましょうか。
私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
御使いは答えて言った。
「私は神の御前に立つガブリエルです。
あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。
ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、
あなたは、ものが言えず、話せなくなります。
私のことばを信じなかったからです。
私のことばは、その時が来れば実現します。」
人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った。
やがて彼は出て来たが、人々に話すことができなかった。
それで、彼は神殿で幻を見たのだとわかった。
ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、口がきけないままであった。
やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。
その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。
「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、
今、私をこのようにしてくださいました。」
(ルカ1章5節~17節)
祭司として長年、神に忠実に仕えてきたザカリヤが、
神殿で大切な務めをしていた時、天使が現われて、子の誕生を告げました。
その子はヨハネと名付けられ、救い主イエスの前ぶれとして、
人々の心を整える役割を果たすのだと。
しかしザカリヤは天使の言葉を信じませんでした。
常識的に言って、子供が生まれるような年齢ではなかったからです。
天使ガブリエルは、ザカリヤの不信仰に対し、
子が生まれるまで話すことができないようにしました。
それは不信仰なザカリヤが、神かのことばの確かさを信じるためでした。
神は不信仰なザカリヤを見捨てなかったのです。
しばらくして、天使の告げたとおり、妻エリサベツは老年にしてみごもりました。
彼女の言葉には、その喜びがにじみでています。
子供が与えられないことは、エリサベツにとって、長年の悩みだったのです。
神様の御前に落ち度なく生きて来たのに、
なぜ、願っても子供が与えられないのだろう。
どうして神は私をこんな苦しい目にあわせるのだろう。
そんな思いでエリサベツは長い間過ごしていたことと思います。
願いや祈りが、きかれないことがあります。
しかし、神から見放されたのではありません。
パウロは、病気の癒しの祈りはきかれませんでした。
しかし、それによって彼は
「神の力は、弱さのうちに完全に現れる」ことを知りました。
また、ある人が盲人に生まれついたのは、彼や家族の罪のせいではなく、
神の栄光が現れるためだと主イエスは言われました。
エリサベツの場合も、その悩みには意味がありました。
彼女は、どんなに絶望的に思われても、神はいつも私のことを
「心にかけて」くださっている方だということを知ったのです。
同じように神は、私たち一人一人をも、
いつも心にかけてくださっているお方なのです。
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南原 繁
(政治学者、元東京大学総長)
「どれほど神仏に祈っても、しょせんは自分の無事幸福か、
せいぜい家内安全を願うことに止まった私の心が、
いまや、(聖書の語る)自分の罪を知り、
それからのあがないとゆるし、神の御旨へと向けられるようになった」