神様は愛です

神様は愛です

神様はすべての人をこよなく愛しておられます。
そうです。あなたは神様に愛されています。
十字架上のキリストの死によって、
神様の偉大な愛がもっともすばらしく示されています。
しかし、なぜ十字架で
イエス・キリストが死ななければならなかったのでしょうか?

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すべての人は罪人

「彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、
ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、
陰口を言う物、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、
高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、
わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です」

(ローマ1章29~31節)

これは誰について語っているのでしょう。
すべての人間のことだと言われても、
「自分は違う」「ここまでひどくない」
と思われるかもしれません。
けれども、自分の行動・言葉・心をよくよく見つめてみると、
まったく罪はないと言い切れるでしょうか。
聖書はすべての人が罪人だと言います。
その原因は、神に対する間違った態度です。
「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、
感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、
その無知な心は暗くなりました」

(ローマ1章21節)

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行いによっては救われない

自分が罪深い人間であると気づいた人は、
どうにかして罪を償おうとします。
親孝行や慈善行為、金銭の施し、修行など、
さまざまな行いによって不足分を補おうとします。
しかし聖書はこう言います。
「律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められない」
(ローマ3章20節)

よい行いを積み上げることによって解決されるほど、
罪の問題は簡単ではありません。
それに、「行いによる救い」は決して満足に至りません。
どれだけ良いことをしても、まだ足りないような気持ちになるのです。

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信仰による救いの道

人間は罪に対して無力です。
けれども、神は無力な人間を見捨てず、
完全な救いの道を与えてくださいました。
それがイエス・キリストです。
「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、
私たちが義と認められるために、よみがえられた」

(ローマ4章25節)

キリストが、罪を解決してくださいました。
どのようにしてでしょうか。
十字架によってです。
キリストが、私たちの罪をその身に受け、
私たちの身代わりとして十字架で処刑されたのです。
本来、私たちが十字架にかけられるべきところを、
イエスが身代わりになってくださったのです。
それだけでなく、イエスは死を打ち破って3日目によみがえり、
多くの人々の前に40日間現れました。
それは、イエスによって罪を赦された人が
永遠のいのちをいただくためでした。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである」

(ヨハネ3章16節)

聖書の救いは、この十字架と復活という
歴史的な出来事に基づいています。
ですから、イエスによる救いを信じるならば、
確実に救われます。
それは「すべての信じる人に与えられ、何の差別もない」
(ローマ3章22節)のです。

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このすばらしい救いについてさらにくわしく知りたいかたは、
どうぞ教会におたずねください。