救いの証

加治佐美佳子

私がはじめて教会に行ったのは4歳のときです。
姉が小学校の前で日曜学校のチラシをもらい
教会に行き始めたのがきっかけで、
私も一緒に行くようになりました。
そのときはなんとなく楽しいというだけでした。

小学校5年のとき、
「わたしはまことのぶどうの木で、あなたがたは枝です」
という聖書のことばから、お話をききました。
イエス様につながっていないとよい実を結ぶことができないということが、
すごく響いてきて、イエス様を信じたいと思いました。
そのときは単にイエス様を信じてつながっていれば
幸せになれるぐらいの理解でした。
イエス様が私達の罪のために十字架にかかり
3日目によみがえってくださったことを何度もきいて知っていましたが、
そのことがはじめて自分とかかわりのあることだと気がついたのです。
けれども、まだ罪のことなどわからないことがほとんどでした。
 
聖書には、自分の正しさを主張するパリサイ人や
律法学者がよくでてきますが、
この人たちは自分の罪に気づかないかわいそうな人たちと思っていました。
私はイエス様を信じて教会に毎週行くうちに、
悔い改めることがだんだんなくなってきたと思っていました。
そんなとき、自分の姿とこのパリサイ人たちの姿がかさなり、
自分こそ罪に気づいていない愚か者だと、
イエス様の十字架が必要な者だと気づいたのです。

こうして少しずついろいろなことがわかってきました。
まだまだ知らないこと、分かっていないことが多くありますが、
あの5年生のとき「イエス様につながっていたい」
という思いを神様はきいてくださり、
主のあわれみでクリスチャンになることができました。