00:00 Sinfonia
08:10 Wir müssen durch viel Trübsal (Chor)
14:34 Ich will nach dem Himmel zu (Arie)
22:59 Ach! wer doch schon (Rezitativ)
24:55 Ich säe meine Zähren (Arie)
30:52 Ich bin bereit (Rezitativ)
32:29 Wie will ich mich freuen (Arie)
38:05 Freu dich sehr (Choral)

Netherlands Bach Society
Jos van Veldhoven, conductor
Maria Keohane, soprano
Maarten Engeltjes, alto
Benjamin Hulett, tenor
Christian Immler, bass

October 5th 2013 at St Martin’s Church, Groningen

 

今回は、J.S.バッハのカンタータとしては40分弱というかなり長い作品をご紹介します。

曲名の『われら多くの艱難を経て』は、使徒の働き14章22節

~弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。~

によるもので、この
「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」
は、第2曲の合唱歌詞となっており、この歌詞を象徴するかのようにこの曲では第1曲から第5曲まで苦しみが表現され、第6曲以降は喜びが表現されています。

さて、この曲ではカンタータ第80番や第147番と異なり、第1曲はパイプオルガンとオーケストラによるシンフォニアで始まり、合唱が入るのは第2曲からですが、この最初の2曲をお聴きになってある程度J.S.バッハの作品を聴きこんでいるかたなら「これってあの曲のアレンジじゃないか」とお思いでしょう。

そうです。彼のチェンバロ協奏曲第1番第1楽章と第2楽章です。
(なお、この曲の第3楽章はほかのカンタータからの転用です)。
作曲時期に関しては諸説ありますが、こちらのカンタータのほうが早かったようなので、チェンバロ協奏曲第1番も前半は「苦しみ」が表現されているとみてよいでしょう。

そのチェンバロ協奏曲第1番にはチェンバロやピアノ、またパイプオルガンによる数多くの演奏録音がありますが、チェンバロという楽器の特性からかどことなく平板な印象を受けてしまいます。
そういえば、このカンタータの第1曲もパイプオルガンでは「苦しみ」の表現度が足りないのではないでしょうか。

実はこの曲、協奏曲に改変されたとき当初はチェンバロ協奏曲ではなくヴァイオリン協奏曲でした。
そのヴァイオリン協奏曲の楽譜が紛失という事態で幻になり、編曲されて楽譜が存在していたチェンバロ協奏曲として知られるようになったという事情がありますが、そのチェンバロ協奏曲の楽譜からヴァイオリン協奏曲としてかなり後年になって復元され、今ではヴァイオリン協奏曲として演奏される機会も数少ないながらあります。

では、そのヴァイオリン協奏曲版の演奏をどうぞ。
演奏はカンタータと同じくオランダ・バッハ協会ですが、演奏者数はかなり少なくあまりの違いに驚かれること間違いなしです。

 

 

0:00 Allegro
7:41 Adagio
14:23 Allegro

Netherlands Bach Society
Shunske Sato, violin and direction

December 6 2019 at Stadsgehoorzaal Leiden,

 

いかがでしょうか。
第1楽章は苦しみの中でもがき、第2楽章は苦しみの中で祈る、そのような内容が見事に表現されているのではないでしょうか。

しかも、ヴァイオリン独奏の佐藤俊介氏は、特に第1楽章では一般的なクラシックの奏法やバロック当時の奏法ではなく、英国やアイルランド、北欧で親しまれたフィドルの奏法でかなり攻めています。
それが第2楽章では一般的なクラシックの奏法で表情豊かに歌い上げ、第3楽章ではクラシックの奏法が中心ながらフィドルの奏法も顔をのぞかせており、カンタータの内容をきちんと理解した上で「協奏曲だからできること」をしているとみてよいでしょう。

このような演奏は協奏曲の楽譜を読み込むだけではできません。

そして、この協奏曲を理解するにあたってカンタータを知りその内容をつかむことの重要さを示しているように思います。

 

上越聖書バプテスト教会教会員 山田 正