週刊 いのちの道(13)

皇帝テベリオの治世の第十五年、
ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、
その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、
ルサニヤがアビレネの国主であり、アンナスとカヤパが大祭司であったころ、
神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。
そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、
罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。
そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。
「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。
すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、
曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。
こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」

(ルカ3 章1~6 節)

ローマ皇帝テベリオ(ティベリウス)の治世十五年すなわち、西暦二八年。
この時、イエスは三十歳でした。
この時代、ユダヤに総督としてローマから遣わされていたのはピラト。
この三年後に、イエスを十字架につける最終的な判断をくだすことになる人です。
国主ヘロデとその兄弟ピリポは、悪名高きヘロデ大王の息子たち。
特にヘロデは、イエスの十字架前夜、不当な裁判を開いたうえ、
イエスを平手打ちにしたり、侮辱したりした人でした。
大祭司アンナスとカヤパも賄賂や政治力で聖職を手中におさめた人です。
イエスはこういう暗黒時代に光のように世を照らしたかたでした。
さて、イエスが公に活動を始められる前に、ヨハネがその道備えの働きをします。
ヨハネの働きは、旧約聖書において、およそ七〇〇年前から預言されていました。
救い主到来の前に、預言者が現われ、荒野で叫び、
人々の心を救い主を受け入れるよう整えるということが、
預言者イザヤによって、記されておりました。
その預言のとおりに、ヨハネはユダの荒野に現われ、
罪を悔い改めて神に立ち返るよう、神のことばを伝えたのです。
そして、罪を悔い改めた人には、バプテスマを授けました。
バプテスマは洗礼と違い、全身を水に沈め、そこから上がります。
教会は聖書の教えに従って、現在もこの方法でバプテスマを授けています。
バプテスマによって救われるのではなく、悔い改め救われ、
イエスを信じた人が、信仰の表明としてバプテスマを受けます。
暗闇のような時代に、光として世に来られたイエス、
そのために道備えをしたヨハネ。
私たちも、心の闇にイエス様を受け入れて、悔い改めて罪赦され、
バプテスマを受け、曲がった人生から救われていきましょう。

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  • 著名人の聖書観

    矢内原 忠雄
    (経済学者、東京大学総長)
     
    「聖書は学者の書であり、無学者の書であり、
    万人によって万人に学ばれるべく、
    万人によって解されるところの人類の書なのである。
    われわれが謙虚になって聖書をひもといて見れば、
    それ(知識)は最も基本的な形において聖書に示されておる。
    これを今日の社会情勢と、人間の知識の進歩と、
    世界の複雑性に照らし合わせて応用すればよいだけです。
    根本は聖書に示されている通りであります」