加治佐 清也

教会に行くきっかけ
私の両親は鹿児島の出身でしたが、父の仕事の関係で静岡県に引っ越しました。
私は、静岡の地で生まれました。
私が小さい頃から病気がちなこと、慣れない静岡での生活などから、救いを求めるようになりました。
様々な宗教をあたったそうですが、神様は母をキリスト教会に導いてくださり、母はそこで救われました。
やがて、私と妹も母といっしょに教会学校に通うようになりました。

何となく神様を信じていた頃
教会学校はあまり休むことなく続けていっておりました。
時には礼拝にも出ました。
そして、神様がいらっしゃること、この神はすべてを造りすべてをご存知であること、人間は罪人であり、その救いのためにイエス様が十字架で死なれたことなどを知りました。
そういう中で、漠然とではありますが、小学校高学年頃に信仰を持つようになり、神様がいつもともにいて、自分の味方になってくださっていることを信じるようになりました。
もちろん、十字架のきちんとした理解とか、復活が自分にとって何を意味するのかなど、十分分かっていたわけではないと思います。
けれども、教会には何か他にはないものがある、真実があると子供ながらに肌に感じつつ、通っていたことを思い出します。
幼い頃に、このような神様との関係が与えられたことは、今になってみるとより一層、感謝に思います。

聖書をむさぼるように
しかしながら、私がもっと深く神を求め、神によって引き寄せられたのは、中学2年の頃でした。
2年の冬頃から、人間関係で悩むようになりました。
いわゆる「いじめ」にあったのです。
誰にも相談できず、どうしてこういうことになったのかも分からず、ただ苦しい日々が続きました。
そんなとき、どういうきっかけだったのか忘れましたが、聖書を手にし、読み始めるようになりました。
耐えられない試練はない、神様は苦しみの中にも愛をもって導いてくださっている、あなたの敵を愛しなさい、右のほほをぶたれたら、左を差し出しなさい、どこまでも耐え忍びなさい・・・・・
そうした聖書のことばのひとつひとつが私の心をとらえ、いつしか毎晩聖書をむさぼるようになっていきました。
やがて、「感謝ノート」をつくり、つらいことがあった日も神様への感謝を忘れないようにしました。
苦しい時間はそれでも続きましたが、聖書のことばに支えられ、自分の罪(軽々しい発言や自己中心、傲慢など)にも気づかされ、神に赦されることの平安と、それゆえに他人を赦すことのできるすばらしさを味わいました。
そうこうしているうちに、いつしかいじめはなくなり、むしろいじめていた人たちと和解し、ある人とは以前以上に仲良くなることもありました。
本当に、神様の恵みだと思います。
そして、この経験で何より良かったことは、聖書のことばのすばらしさを知ったこと、もはや自分はこの神様抜きには生きていくことができないと身をもって知ったことです。
苦しみを通して、神様は私に本当にかけがえのないものをたくさんくださいました。

救いの確信
その後、高校・大学に進む中で、ますます自分の罪深さに直面するとともに、私の罪をゆるし、私を神の家族の一員としてくださるために、キリストが十字架にかかって死んでくださったこと、3日目によみがえられたことを知り、救いの確信が与えられました。

「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」
(ローマ8章38~39節)

このような激しく深く確かな愛は、聖書の神以外にどこにも見つけることはできません。
救われていることの喜びを日々感じ、ますます深くしている今日この頃です。